836345 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

26 愛情表現、イタリアvs日本

LA VENTISEIESIMA PUNTATA  "L'ESPRESSIONE DI AFFEETTO"

第26話 愛情表現、イタリアvs日本

モデナに住んでいる日本人男性がイタリア語で書いているブログ、
UN GIAPPONESE IN ITALIA(イタリアの日本人)に最近注目している。

きっかけは桜集のレジ台で、
“Italia più Giappone diviso due = ?”という本を手に取り、
購入してみたことであった。
この本の題を訳すと、「イタリアと日本、足して2で割ると?」となる。
著者のプロフィールを見るとわたしと同年代だ。
まずはイタリア語で日本を紹介する文章を書こうとしたその気力に感服した。
正直言うと、男性の視点だからということもあるのだろうが、
わたしには多少大袈裟に思える表現もあったりして、
客観的に読んでいた部分もある。
しかしながら、日本の文化習慣を紹介する上で、
丁度いいポイントばかりを押さえているのだ。

この著者、成瀬隆太氏のブログがUN GIAPPONESE IN ITALIAだ。
日付をさかのぼってブログを読んでいたら、ある時発見!
大大大共感の文章!
イタリア人にとって、
日本人の分かりにくいと思われる性格をうまく説明している一節である。
しかもこれが書かれたのは2006年3月26日と、わたしの誕生日だ。エライ!
イタリア語だけなのが残念だ。
ぜひ日本人の方々にもぜひ読んでもらいたい。
それほど読み応えがあるブログである。

今回はその2006年3月26日のブログ
(著書“Italia più Giappone diviso due = ?”では100ページに掲載されている)の一部を
簡単に紹介しようと思う。

ある日、アニメ好きのイタリア人の男の子からこんな質問を受けました。
「なんでこう日本人って恋愛にオクテなの?
『めぞん一刻』なんて五代くんと響子さんの関係が進展するのにとてつもなく時間がかかってるよ。」
なるほど。
しかし今ドキの日本の若者って、実はそうでもないんですね。
そうは言ってもイタリア人よりは愛情表現がハッキリしていないのは確かです。
例えばイタリアって、道端で恋人同士が「ぶちゅー」ってキスしているのをよく見かけます。
日本人がこうしないからといって、その理由を冷めているからだとは言い切れません。
愛情表現の方法が異なるってだけのことです。
イタリア人に言わせれば、愛し合っている者同士なら、
その気持ちを伝えるためにチューすることははばからないわけです。
それが道の真ん中だって、そうでなくたって同じこと。
でも、何も人前でチューしなくたって愛情を確かめ合う方法はいくらだってあります。
口にしなくても分かり合える、ってこともあるんです。

(訳&要約byマミ)

そうなのだ。
イタリア人の愛情表現(ここでは恋人間、特に男→女に限る)は、
わたしにとってはおしなべてウザい。
それがいい、っていう日本人の女の子ももちろんワンサカいるだろう。
しかしわたしにとっては、ウザすぎるのよ、とぶっ飛ばしたくなることしきりである。
これは、わたしの職場にそういう男が集まっているから、
というだけなのかもしれないのだが。

彼らはまず、1日8時間の勤務時間中、
恋人もしくは奥さんに複数回電話をかけ(もちろん会社の電話で)、
彼女たちが現在何をしているかを確認しなくてはならない。

マッテオのパートナーはわたしの友人でもあるロッセッラ。
「何してるの?」「何食べてるの?」「昼寝してるの?」
家に帰ったら会うだろうに、ずっとこの調子である。
おかげでわたしがマッテオに話すこと、わたしが職場でやらかしたことは、
すべてロッセッラに筒抜けなので、
この友人に改めて話すことなど何もないくらいだ。

ラウルも一日に数回、
同棲中の恋人と、近所に一人で住む母ちゃんとに電話をする。
会話はいつも「“Come va?”(どう?)」で始まる。
カノジョには「冷蔵庫にほうれん草がありまちゅからね」と
赤ちゃん言葉を使ったりしている。
おい、こっちは全部聞いてるんだぞ。

ルーマニア人のマリウスも。
家に帰れば会えるかわいいイタリア人の奥さんと、
まだ小さい息子の一挙一動を報告し合っている。
自分では散々掛けているくせに、
時々奥さんから掛かってくれば、「仕事中だ、切るからな」とか冷たくしてみたり、
理解不能である。

カルロも愛妻家。
奥さんのマリアが携帯に出ないと不機嫌になり、
八つ当たりでその辺にある物を壊しそうな勢いだ。
そして5分後にまた電話して、
それでもまだ出ないと怒り出して独り言で騒ぎ始める。
彼はチップがもらえない時もこういう態度を取るのでもう慣れたのだが。
トイレに行って電話に出られないこともあるし、シャワーを浴びているかもしれない、
あんたの娘のおしめを替えているのかもしれない。
気にするんじゃねーよ、
ちょっと前までは携帯電話なんて存在しなかったんだぞ、
何にそんなにしばられているの?
わたしはカルロに今まで何度こう言ってきたことか。
いつだったかは逆ギレして怒り出したし、
顔を真っ赤にしてシュンとしたこともあったっけ。
奥さんは8つくらい年上。
結婚するまで母ちゃんに靴下をはかせてもらっていた男である。

職場でこんな彼らの言動を毎日見ているから、つくづくイタリア男にはうんざりする。
もちろん彼らの愛情表現を悪いとは言わない。
文化によって異なるのは当然だ。

電話を例に挙げるならば、
例えば、わたしが日本の両親と電話で話すのは、月に一遍くらいである。
日本に数ヶ月ぶりに帰った際、久々に会うからといって両親と抱擁することもない。
だからと言ってイタリア人に比べて、ウチの親子間の愛情が薄いと言えるのだろうか。
そんなことはないと思うのである。

愛情表現はいろいろ。
あ、でもワタシ、やっぱり道の真ん中でぶちゅーとか、
一日に何回も電話かかってくるのはだめだわ。
果たしてイタリア人は淡泊な日本人を理解してくれるだろうか。

ただ、これってばきっと、
今、イタリアに住んでいる日本人のわたしにとって鬱陶しく思えるだけ。
日本に帰って日本人の男たちに囲まれてみろ、
イタリア男たちの愛情表現が恋しくなるのは目に見えている。

(2008年6月)

NEXT          TOP          HOME


© Rakuten Group, Inc.